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駿河屋が今の業態になったのは

RELEASE:2015.09.10     UPDATE:2016/12/07
CATEGORY:ブログ, 社長ブログ
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昨日、お客様から頂きものを致しました。

それはそのお方の故郷の品である

とっても美味しい梨でした。

 

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熨斗には『お礼』と書かれていて、

その方の建物をご購入する上で、

色々とお手伝いをさせて頂いていることへの

お礼のお気持ちだと察しました。

 

たいしたお役にも、まだたてていないのに

人からの温かい気持ちに触れると本当に嬉しいです。

 

人と人との温かい繋がり、

ご縁を頂きながらお仕事をさせて頂けていることは

本当に有り難く、涙がでるほど嬉しいものです。

 

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今でこそこうしたお客様と

温かいご縁を頂けている私ですが

実は以前は全く違っていたのでした。

 

今日はそのことについてお話ししようと思います。

 

もともと駿河屋は材木商であったが

もともと駿河屋は材木商であったが

 

創業1657年の当家は

HPでもお伝えしているとおり、材木商でした。

 

しかし、時代の流れから

材木業が難しい時代となり

「材木屋にはなるな」という父の教えから

ゼネコンでの10年の修行をして

建設会社をつくるために起業しよう決めました。

 

でも、いきなり建設会社をつくっても

仕事なんて来るわけもないのは

僕でもわかっていたので、

 

どうしたら建築の仕事を頂けるようになるか考えた結果

地元の不動産会社さんと取引が出来れば

内装工事くらいは頂けるのではないか

 

それを足がかりに、いつかは本物の木を使った

建設会社に成長させたいと考えました。

 

その結果、一番営業しやすく、取引しやすい商売は

賃貸住宅のハウスクリーニング屋さんではないかと考えたのです。

 

そして14年前に、本物の木を伝える建設会社を目指して

ハウスクリーニング業を一人で始めたのでした。

 

運良く商売は軌道に乗った

運良く商売は軌道に乗った

 

軽ワゴンにスーツと掃除道具を積んで

不動産会社さんへの営業と

頂いた掃除を同時にこなす日々が続きました。

 

作業着からスーツに着替えて営業し

スーツから作業着に着替えて掃除をする

そんな毎日でしたが、

僕には「本物の木を伝える建設会社になる」

という夢があったので

何も苦労を感じませんでした。

 

それよりも、徐々に建築寄りの仕事が

増えて行くことが嬉しくて

仕方なかったのを思い出します。

 

スタッフは徐々に増え売上も増えたけど

スタッフは徐々に増え売上も増えたけど

 

創業当初は、「本物の木」をつかった仕事は全く無く

ご依頼通りの一般建材を使うリノベーション(フルリフォーム)を行ってました。

 

業績も右肩あがりで仕事もどんどん増えました。

スタッフも増えてきました。

 

それから大手さんの営業にも

積極的に飛び込み営業して

皆さんご存じの有名な会社さんのお仕事も

ずいぶんとやらせて頂きました。

 

利益や売上は上がっているけれど

利益や売上は上がっているけれど

 

業績も良いのに、なぜか心が空っぽでした。

この気持ちは何だろうと考えなくても

すぐにわかりました。

 

本物の木が使えない仕事だということ

実際に住まうお客様との接点がないこと

「一桝に頼む」という仕事ではなかったこと

誰でも良い仕事だったからです。

 

そんな時にリーマンショックが起こりました。

 

事業継承に値する商いなのか

事業継承に値する商いなのか

 

大手企業の下請けが100%だったので

取引先からの圧力がどんどん厳しくなりました。

 

当然、大手さんも価格競争をしているので大変なのです。

僕らも価格を下げる努力を沢山しました。

 

価格を下げるということとは、

僕らの利益を減らし

職人さんの日当を減らし

仕入れの安いところを探すことです。

 

いくら働いても利益が残らず

スタッフも僕も、顔色が悪くなっていきました。

 

そんな日々が続いたときに、息子を見ながら

「こんな仕事は10代目に継がせることは出来ない」

そう思いました。

 

事業改革

事業改革

 

そんな時に友人からのご縁で

社会人大学院に入学しました。

 

卒論の代わりに新たな事業計画を立てるのです。

毎日3時間しか睡眠時間が取れない日々でしたが、

僕はそこで、自分の本当にやりたいこと

「本物の木の香りのする住まいづくり」を

どうしたら「一桝にお願いしたい」と言って頂けるのか

 

次世代に伝える価値のある事業とするために

2年間かけて練り上げました。

 

祖先から続く木材という自然素材を知り尽くした僕が、

本当に自信をもって、

自分自身が本当にほしい物を提供できる

今の仕事に事業改革をすることが出来ました。

 

 

今想うこと

今想うこと

 

下請け元請けが悪いとか、

価格勝負の競争が悪いとか

新建材がダメだとか、自然素材がいいとか

そういうことを言いたいわけではありません。

 

商売も人と人との繋がりなのですから

そうしたご縁を大切にできる仕事をしたいのです。

 

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なので今僕たちは

想いに共感していらしていらして下さる

お客様のお仕事が出来ることに

本当に感謝の気持ちで一杯です。

 

そして、もう一つ想うこと。

 

それは、祖先から代々受け継いだ

木材と関わる生業に、また戻れたこと。

 

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木材の時代は終わったと、材木業を廃業にして

ハウスクリーニング業から建設業へとなりましたが

 

やっとの事で、ふたたび木材を扱う事が出来たということは

本当に人生の流れやご縁、巡り合わせの不思議を

感じずにはいられません。

 

それは僕たちの意識を超越した

大きな力が動いているとしか思えないのです。

 

さらには、

僕の心の葛藤を知り

応援してくれた大学院大学の仲間や

身近な友人たちや家族には

感謝の気持ちが尽きません。

 

最近は、同業者の方からも

僕たちの知識や経験を「教えてほしい」と

おっしゃって下さる方も増えて来ていて、

 

そうした方には、僕の知っていることを

少しずつですが広めて行きたいと思っております。

 

今日は、とっても美味しい梨を頂きながら

そんなことをお話ししたくなったのでした。

 

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<編集後記>

 

日本人はもともと、「ものには命がある」「魂が宿る」

という気持ちを大切にしてきた民族です。

 

であるならば、住まいは命や魂、想いの集まりです。

お客様をしっかりと見つめながらする住まいづくりと

そうでない住まいづくりの違いは

物理的には全く違いはないかもしれませんが、

 

本当にそうなんでしょうか。

 

 

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